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トモミのひとりごと

アメリカロサンゼルスから日常のことや育児のことなどいろいろ

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10年になりました
私の在米歴。今日で丸十年。

10年前の11/22、はにーちゃんと一緒になるために、「いい夫婦の日」で語呂がいいからってこの日を選んで、スーツケース2個とダンボール2箱とゴルフバッグを持ってLA空港に降り立ちました。

仕事も辞めて、家族にも友達にも別れを告げて、ずっとアメリカで生きて行くんだと決心してやってきた。

こう書くと、なんだかちょっと無理してて、折れてしまいそうな精神を奮い立たせて来たような感じだけど、当時の私には何の迷いも恐れも不安もなくて、はにーちゃんと結婚する幸せに身体中が包まれてて、明るい未来しか見えてなかったな。

いわゆる、結婚式前の女性が経験した何もかもが「ピンク」の状態。



それがさー、10年経つとさー・・・



と、話のオチとしてはこうなるのでしょうが、私の気持ちはあの時のままです♪ うふ♪


そりゃね、色々ありましたよー。
子供が2人も出来たわけだし、育児ネタだけでも100万個くらいあると思うw

ケンカして出て行ったり、出て行ってしまわれたり、1週間くらい口をきかなかったりさ。

だけどなんだろう?
そういうことがある度に、逆に私の居場所はここなんだ。ここしかないんだ。って思えてきた気がする。

ここはねー、アメリカとは思えないほど日本の物がいっぱい溢れてて、日本人には本当に住みやすい所です。

でも、やっぱり言葉の問題とか、社会の仕組みの事とか全然分からないままやってる。
ヤバイなーって何度も思ってますw

特に今は子供達がこの国で教育を受けてるわけで、いろんな違いに違う言語で対応しているわけで、
「これでいいのかなー」
とか、

「もう!日本だったら自分でとことん調べられるのに!」

とか、ストレスというかジレンマみたいなのも常に背中合わせです。

でも、家族は一緒に前に進むものだからと思うと、自分だけ先走ってつまずいて、悲しい気持ちにはなったりしない。


航晴を妊娠して男の子だと分かった時、姉妹で育った私は、男の子の気持ちが分からないので育てる自信がなかった。

男の子を産むということに不安があったんです。

けど、はにーちゃんは

「だから男の俺がいるんだよ」

って言ってくれた。

すごく気が楽になったっけ。
いつの間にか自分一人で背負い込もうとしていたんですね。



「仕事の代わりはいくらでもあるけど、家族の代わりはいない。」

結婚当初、まだ2人の時に言ってくれた言葉。

10年経って、4人になって、より重く感じます。
家族より大事なものなんて絶対無いもの。

それを教えてくれたはにーちゃんに心から感謝しています。

10年前の今日にLAXに着いて、
ダウンタウンにある小さなホテルで仮住まいが始まった。

お夕食に出かけたレストランに向かう際の夕焼けがとてもきれいだったのを覚えてます。

今日もそんな夕焼けが見えました。
(なんと、虹も出たんだよっ!)

いつまでも、この気持ちが続きますように。



はにーちゃん、いつも私を助けてくれてありがとう。

















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