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トモミのひとりごと

アメリカロサンゼルスから日常のことや育児のことなどいろいろ

母が帰っていきました

航晴出産の為、お手伝いにやってきていた母が日本に帰っていきました。

今回私の体の回復は異常に早かったけれど、やはりまだ1歳半の里花と赤ちゃんの航晴の面倒を一度に見るのは大変で、それに炊事洗濯など家事をやるなんて一人じゃ到底無理なこと。
母に手伝ってもらいながら1日1日をなんとかまわして、気がつけば2ヵ月半もひき止めてしまっていた。

寝不足の私が10時ごろまで寝ている間、母は里花に着替えと朝ご飯を食べさせ、キッチンのあと片付けやバスルームの掃除などをしてくれた。
途中里花が遊べといえばそれに付き合い、外に出せといえば中庭を散歩させてくれる。
最初はアメリカの洗濯機に慣れなかったのに、溜まった頃にはキレイにたたんだ洗濯物がタンスの上に積まれていた。

里花が昼寝をしていても夕食の支度のためにキッチンに立ち、おかげで私はその間に銀行やら郵便局、ちょっとした買い物などの用事を済ますことが出来た。

結婚する前の3年ほどは妹と家を出て一緒に暮らしていたので、こんなに長い間母とこうして毎日接することが久々だったのだけど、この人はこんなにも一生懸命働く人だったのかなあと感心させられる毎日だった。
ただひたすら娘の私が楽できるようにとそれだけを考えているその姿は、「私ってきちんと家族のために働いているだろうか」と、自分の家族への対応を考えさせられるものでもあった。

せっかくLAに来たというのに、○○に行きたいだの、△△を食べてみたいだの、一切そういう事を口にしなかった母。
丁寧にひげを取った「もやし」や、キレイに面取りされている「カボチャ」を食べる度に、私もこういう人になれるだろうかと思った。

炊事洗濯など一切出来ない父をひとり日本に残し、どんなに心配だっただろうと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
それでも母は「父が心配だから帰る」とは言わなかった。

はにーちゃんがいろいろと気を遣ってくれて、水族館やディズニーランドなどに連れて行けた。まあ、スーパーひとつとってみても目新しくて面白いみたいだったので、毎週のごとくいっていたファーマーズマーケットも楽しんでいた様子。
それだけが唯一の救い。

帰国する日の前日。車の中で母が言った。
「言葉が分からんからさあ、人と会話できへんのが辛いわー」

出産の時も、航晴の病気のことも、買い物に行っても、キッチンの電子レンジでさえもいちいち私に聞かないと分からない。
今何が起こっているのか全く分からないことも多かったのだろうなあと、それはとても不安だったんだろうなあと、母のその言葉を聞いて急に不憫に思えてしまった。
私がもっとしっかりと分かっていたらきちんと通訳してあげられたのにとちょっと自分を責めてしまったりして。

空港から家に戻った。
昨夜スイッチを入れた食器洗浄機の中の食器はすべて食器棚にしまわれ、
子供達の使用済みオムツもまだゴミ箱に余裕があったはずなのに、なくなっていた。
いつの間に・・・。 朝、自分の荷造りもあっただろうに。

母は航晴の手術がある来月にまた戻って来るよと言ってくれている。
だけど私はできる限り自分でやってみようと思っている。
母が今度LAに来る時は思う存分満喫できるように。

お母さん、本当にどうもありがとね。

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